2013年御翼9月号その1

自分の人生を振り返る―柏木哲夫『人生の実力』より

 ホスピス(終末期ケア)の権威・柏木哲夫医師が、『人生の実力―2500人の死をみとってわかったこと』で、ある患者のことを以下のように記しておられる。

 ホスピスの患者さんの一人に、かなり自分勝手な生活を送ってきた人がいた。彼は奥さんや子供をないがしろにし、家庭を顧みず、勝手な生き方をしてきた。奥さんはとても苦労し、二人の子供も自分の父を毛嫌いしているようであった。しかし、徐々に体が弱ってきた時、彼は自分の人生や過去をずっと振り返り、そして思い出した。自分の弱りの中で反省したのである。奥さんにどれほど苦労をかけたか、子供たちにもどれほど辛い思いをさせたか。それにもかかわらず、よく辛抱して自分についてきてくれた、と気づいたのである。そして、人が変わったように、「今まで勝手なことをしてきてしまった。許してくれな」と奥さんや子供に言うようになった。彼は、強いストレス状況下に置かれている時に、「不平不満の人」から「感謝の人」に変わったのである。何がこの人の変化のきっかけになったのか。それを見定めるのは難しいが、今までの私の経験上、多分「振り返り」が、この人を変える一つのきっかけとなっているのではないか、と思う。人は「死」を意識した時に、「振り返り」ということをする。自らの人生を振り返るのである。人生を振り返った時に、人は、「人からしてもらったこと」を思い出すものである。

 うつ病など神経症の治療を目的にした日本的な療法の一つに、自分自身の心を自ら探る「内観療法」がある。人間関係のつまずきなどでノイローゼ気味になった人たちには、一番良い療法である。今では、アメリカでもこの内観療法は行われている。内観療法とは、「静かな場所で自分の過去を振り返り、小さい頃から今まで、どんな人に、どんなお世話を受けたかを思い出す。それと同時に、その人たちに自分がどれほどのことを返してきたか、してあげてきたかを振り返る療法」である。この療法を行うと、多くの人は、「自分にしてもらったこと」のほうが、「自分が人にしてあげてきたこと」よりもずっと多いということに気がつく。また、「今の自分があるのは、多くの人から支えられてきたおかげだ」ということに気づく。そこから、自分の生き方が変わっていく、という体験をするのだ。これが内観療法の基本である。内観療法の場合は、「これこれ、このようにしてください」と治療者が指示し、その言葉に従って静かな場所で指示されたことをする。しかし「死」を自覚した人は、誰からも指示されなくとも、自ら同じように「内観」をするのである。「死」を自覚すること自体が、一つの大きなきっかけになっており、やがて自分がこの世から姿を消すという状況になった時に、人は自分の一生を振り返らざるを得なくなるのではないか、と私は思う。その時に、多くの人が「自分にしてもらったこと」と「自分がしてあげたこと」を比較してみると、「自分にしてもらったこと」のほうがはるかに多いと気づく。結果、「人生最期の成長」へと結びつくのではないかと思う。エリザベス・キューブラー・ロスは、その著書『Death‥死』、副題「ザ・ファイナル・ステージ・オブ・グロース(The Final Stage of Growth…成長の最終段階)」の中で、多くの末期癌の患者と接してきた経験から、「人間は死ぬ瞬間まで成長できる存在である」と言っている。

 私たちは、死に直面していない時でも、祈りの中で、「内観療法」をしてみよう。どのようにして、誰をお陰で自分が信仰を持つに至ったのか、感謝をもって受けとめ、誰かに信仰を伝える動機を持とう。アウグスチヌスが無謀で不道徳な生活をおくっていたとき、母モニカはある司教をおとずれて助力をあおいだ。司教は、「そのような祈りと涙の注がれた子が滅びるなんて、とてもあり得ないことです」と言った。多くの人々が、自分がかくあるのは敬虔な両親に負うところが多い、と喜んで証言するであろう。

 

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